浦和地方裁判所 平成5年(ワ)2146号・平4年(ワ)1766号 判決
第一事件原告(第二事件被告)
加藤桂子(X)
右訴訟代理人弁護士
桜井和人
第一事件被告
埼玉県(Y)
右代表者知事
土屋義彦
右訴訟代理人弁護士
鍜冶勉
第二事件原告(第一事件補助参加人)
吉田包子(Z)
右訴訟代理人弁護士
蔭山好信
同(第一事件につき復代理人)
矢部喜明
事実及び理由
第三 争点に対する判断
一 第一事件について
1 被告県の職員の退職手当に関する条例(以下、「本条例」という。)第二条によれば、退職手当は、職員が死亡により退職した場合には、その遺族に支給するものとされ、第一四条によれば、遺族の範囲及び退職手当を受ける順位は、第一順位は配偶者(届出をしていないが、職員の死亡当時事実上婚姻関係と同様の事情にあった者を含む。)である(乙一)。そこで、死亡した職員に妻があるときは、妻が退職手当の受給権を有することは明らかであるが、当該職員がいわゆる重婚的内縁関係にあった場合において、妻と右内縁関係にある者のいずれが本条例にいう配偶者に当たるかは、これらの者と当該職員との生活の密接さの程度によって決定すべきではなく、原則として妻が配偶者として受給権を有し、但し妻と職員が事実上婚姻関係を解消することに積極的に合意して事実上の離婚状態を作り上げているような場合に限り、内縁関係にある者が退職手当の受給権を有するに至るものと解するのが相当である。
なお、弁論の全趣旨によれば、弘は右条例の適用を受ける被告県の職員であり、その死亡により退職したものと認められる。
そこで、以下においては、右のような観点から、原告加藤と原告吉田のいずれが退職手当の受給権を有するかを検討する。
2 前記のように原告加藤が昭和六二年八月一日から弘と同居していることは、当事者間に争いがなく、〔証拠略〕によれば、原告加藤は、鎌田嵩と婚姻し、一男一女をもうけていたところ、PTAの役員をするようになって弘と知り合い、昭和五〇年ころ同人と親密になり、昭和五二、三年ころに一旦交際を止めたが、昭和五三、四年ころから再び弘と親密に交際するようになったこと、弘は家庭は崩壊していて食事の準備や洗濯は自分でしていると言っていたこと、原告加藤は昭和六二年に鎌田嵩と離婚したこと、なお同原告の誕生日である平成二年一一月二四日には玲子夫婦も弘方を訪れ、一緒に同原告の誕生日を祝ったこと、同年一二月初旬、玲子は新婚旅行先のリスボンから原告加藤に絵葉書を送り、その中で父のことをよろしくお願いする旨記載していることが認められる。
また〔証拠略〕によれば、弘は、平成元年八月一五日付けで遺言書を作成し、同遺言書には、同人が死亡した時は、同人の退職金その他同人名義の預金保険金等の収入のすべてを原告加藤に与えるものとし、原告吉田は、協議離婚に応せず現在まできているので、妻としての権利を主張することを認めない旨記載されていることが認められる。
3 しかしながら、〔証拠略〕によれば、次の事実が認められる。
(一) 弘は昭和九年四月五日生まれで、昭和三二年ころ教員になり、原告吉田も教員であって、両名は組合活動をしているうちに交際するようになって、婚姻した。
原告吉田と弘は昭和五三年九月に自宅を建築したところ、その際の建築資金も、それぞれが埼玉県共済組合から借り入れる等して準備した。
原告吉田が昭和五四年三月一日から循環器、心臓の疾患で秋浜病院に三九日間入院した際、弘は、殆ど毎晩七ないし八時に病院に来て、看病した。
(二) その後も原告吉田と弘との婚姻生活は、弘が原告加藤と同居する頃まで破綻しておらず、その生活状況の例を挙げると、左記のとおりであった。
玲子が大学生になり、バレーボール部に入部し、合宿したときは、原告吉田と弘は一緒に何回か玲子の合宿を見学に行った。
昭和五六年四月四日に弘は原告吉田と二人で鬼怒川温泉に旅行し、同年八月一〇日に右両名は弘の両親やその子らと共に水上に旅行し、昭和五七年一月一五日に玲子の成人式を家族で祝った。昭和六一年一二月二四日、弘は自宅で原告吉田ら家族と共にクリスマス会を開き、昭和六二年三月一五日に弘と原告吉田は、甥の結婚式に揃って出席した。
(三) 原告吉田は、弘と別居後も、昭和六二年一二月ころまでは一カ月に一度位昼食をしながら話し合い、弘に家庭に戻るように求めており、平成二年三月二五日に玲子の結婚式に二人で出席した。
弘の葬儀は、原告吉田が喪主として催した。
4 以上の事実に基づけば、原告加藤は鎌田と婚姻していて、昭和六二年に至って離婚し、他方弘は原告加藤と親密な関係を持ちながら、原告吉田との婚姻生活は維持して(従って、弘が原告加藤に対し、原告吉田との婚姻が破綻している旨述べたとしても、右説明は弘が原告加藤の歓心を買うために行ったものと推定されるのであって、右事実のみをもって、弘と原告吉田の婚姻が破綻していたと認めることはできない。)、その期間は約二七年間に及んでおり、そうして原告吉田は弘が別居後離婚を求めてもこれに応ぜず、むしろ婚姻関係の回復を求めていたのであるから、これら事実に基づけば、弘が昭和六二年八月一日から原告吉田と別居して原告加藤と同居していたからと言って、弘と原告加藤の関係が内縁の夫婦と言い得るかも疑問であって、ましてや原告吉田と弘が事実上離婚に合意し事実上離婚状態にあったと言うことは到底できない。したがって、原告吉田が本条例一四条所定の配偶者に該当し、本件退職手当の受給権を有すると認められる。
なお、〔証拠略〕によれば、弘は、原告加藤に対し昭和六二年一〇月五日に前記自宅である土地建物の持分権を贈与したことが認められるところ、原告吉田の供述によれば、弘は実家の借金を相続したので、その債権者からの追及を避けるため原告吉田に右のとおり持分権を贈与したというのであるから、右贈与の事実から、原告吉田と弘が離婚に合意していたということはできず、また前記のように玲子が弘と原告加藤と関係について理解を示していたからといって、右事実から直ちに弘と原告吉田が事実上の離婚状態にあったということはできない。
二 第二事件について
〔証拠略〕によれば、原告吉田は、平成二年一一月ころ弘が重病であることを知って見舞いに訪れようとしたが、望月から原告加藤は原告吉田が来ると困ると言っている旨聞かされたため、病院に行かず、また同年一二月五日に弘が危篤になったことを知って病院に赴いたが、原告加藤が反対したため弘に面会できなかったというのである。
しかしながら、原告加藤において原告吉田が弘に面会に訪れることに反対したとしても、原告加藤は原告吉田にその旨述べたのではなく、望月に述べたに過ぎない上、暴力を振ったりその他物理的に妨害した訳ではない。そして、本件全証拠によるも、弘の配偶者であった原告吉田が単に原告加藤が反対しただけで弘に面会することが不可能であったと認めることはできないから、原告加藤が主張する本件不法行為は、その余の点を判断するまでもなく、これを肯認することができない。
三 よって、原告加藤の第一事件請求及び原告吉田の第二事件請求は、いずれもこれを棄却することとする。
(裁判官 大喜多啓光)